【この家族でよかった】

2児のパパです。

妻が妊娠に向かない体質なのでしょうか、最初の子の時は切迫流産で入院、4ヶ月を過ぎた頃でしたが、医者より「胎児の頭に大きな水疱が出来ている。このままでは知能に障害を持った子になるか、もしくは生まれてもながくはない。」と宣告され、どうするか散々迷った挙句の決断として、言い逃れになるかもしれないですが、人工中絶の道を取ってしまいました。

心より待ち望んだ子供だったので、私と妻はしばらく気の抜けた日々を送りましたが、2年後に妊娠。
そして予定日を迎える半月程前に大出血、病院の廊下を血だらけにして入院しました。

今度は、生まれさえしてくれるものならば、後々どんな苦労が待っていようとも絶対に産もう(産んでもらおう)と二人で決めていたし、それが最初の子へのせめてもの罪滅ぼしだなどと勝手に思い込んでいました。

しかし、そんな緊張感とは裏腹に、お腹の子は見事に復活し帝王切開ではありましたが、私共に会いに来てくれました。その子も今では保育園に通うやんちゃな4歳の女の子。

そして、今年の1月に妻は3度目の妊娠で、またも原因不明の大出血。
大病院に搬送中の救急車の中でショック症状を起こし、一時は血圧が40まで下がり母子もろとも非常に危険な状態になりましたが、どうにか一命(二命?)をとりとめました。

しかし予定より2ヶ月も早い出産になってしまい、暫くは母子共々ICU入り。 
後の検査で子供に色々と問題が見つかりましたが、私も妻も「生まれてさえくれれば・・・」という考えは今でもずっと有効であったし、妻も「ふたりでならこの先、どんな事があっても乗り越えていける。」そのうえ、「産ませてくれてありがとう・・・」とも。

体じゅうに張り巡らされたチューブやコードがなければ誰の目の前でもかまわない、思い切り抱きしめてやりたかった。その夜、上の娘と一緒に寝ましたが、妹が生まれるのをとっても楽しみにしていたのに何で会えないのかと責められ、次期尚早かとも思いましたが、これから会える妹は普通と違うかもしれない旨を伝えました。しばらく黙って聞いていた娘が大粒の涙を流しながら

「赤ちゃんはパパやママやわたしに会いたかったから生まれてきたんだよ。みんなも赤ちゃんにあいたかったんでしょう、みんなで守ってあげなきゃいけないんだよ。友達が出来なかったらわたしがずっと遊んであげるから、足が悪かったらわたしがずっとおんぶするからみんなで仲良くしてあげようよ。」

たった4歳の娘にここまでの思いがあることさえ気付きもせずにいた自分を呪うと共に、これから始まるであろう未知の苦労を、やはり自分の中で感じていた事を、どうしようもなく恥ずかしく思いました。

今、家族4人おそらくどんな幸福な家庭にもとうてい及ぶ事のできない強い絆で結ばれ、この妻で良かった、この子たちで良かった、そしてこの家族で本当に良かったと心から思っています。



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