【母の愛情】

俺は10年前に離婚しました。二人の間には当時4歳の一人息子がおり、俺は息子を引き取りたかったが、4歳の子供には父親よりも母親の愛情のほうが必要ということで妻が引き取った。俺は養育費を送ることとなった。

妻は仕事を持っており、普通の男性サラリーマンと同じぐらいの十分な収入があったが、俺も息子への愛情のつもりで十分な金額の養育費を毎月送金していました。息子が小学校4年生になったとき、元妻がやや重い病気を患い、手術するために入院することになった。そして元妻の入院中、俺が息子の世話することになった。

その間の生活は、子供の通学など生活環境を優先して、元妻が息子と暮らす家で、俺は息子と1ヶ月一緒に暮らした。元妻の家に行って驚いたのは、とにかく家の中が散らかし放題に散らかっており、そしてキッチンも汚れ放題汚れていたこと。
さすがにゴミや洗いものを溜めているというような状態ではなかったが、明らかに掃除が行き届いていない様子だった。そんな家の様子を見て、そもそも離婚した原因もこのだらしなさにあったということを思い出した。

とにかく妻のだらしなさが嫌で、家から遠ざかるようになり、そのうち外に彼女ができてしまい、それが原因で離婚することになった。また気になったのは、息子の着ている服がかなり着古してヨレヨレで、破れている箇所に、今時ありえない継ぎ当てなどしてあったり、「もうちょっときれいな服を着させてやれよ」と思うのと同時に、「いったい何のために養育費を送ってやっているんだ」と少し腹がたった。そういえば、確かに元妻は倹約家というかセコかったことも思い出した。

そしてそれもこの女との結婚生活にウンザリした要因の一つだった。
息子と一時的な同居を始めた当初、息子は「ママはすぐに部屋を散らかす」とか「ママはご飯を作り置きするから、ご飯はいつも冷めてまずくなっている」など、ママに対する不満を言っていた。
それを聞いて俺は、「ああ、やっぱり息子も俺と同じ意見なんだな」と思った。そして俺は息子に喜んでもらおうと良い食材をふんだんに使って料理を作ったり、散らかった部屋を少しづつ片付けたりした。息子は「パパの作るご飯はおいしい」と言ってくれた。

そして「パパはとてもきれい好きだったって、いつもママが言ってる」という話もしてくれて、(へぇ、あいつは息子に俺の話をしたりするんだ)と変な感心をした。また、俺は会社帰りに、子供服の専門店に立ち寄り、息子のために新しい服を買って帰った。息子はとても喜んでくれて「パパありがとう、明日この服着て学校にいくよ!」と言ってくれて俺はすごく満足した。

そして着古してぼろぼろになってた服は後で捨てるために袋まとめておいた。息子と同居を始めて二週間目の週末、息子は、通っている学童保育のお泊りキャンプにいった。俺はその間に汚いこの家の中を一気に片付けてしまおうと、押入れを開けた。すると、袋にまとめて捨てたはずの、ぼろぼろになって継ぎ当てだらけの息子の服がでてきた。

出勤時に、たしかにゴミ置き場に捨てていったはずなのだが、おそらく、俺がゴミ捨て場に持っていったあと、息子がとり戻してきたのだろう。そして、俺に見つからないように袋ごと押入れの奥に隠したのだろう。俺は無神経だった。息子は、ママが継ぎ当てをしてくれたお気に入りの服が大好きだったのだ。悪いことをした。俺は気付かなかったふりをして、継ぎ当てだらけの服が入った袋を戻しておいた。そして、そのあと、俺はクローゼットの中を片付けていると、息子名義の通帳を見つけた。息子が生まれた年に「将来、息子が一人暮らしをするようになったときに渡してやろう」という目的で作った息子名義の預金通帳で、親戚にいただいたお年玉などをその口座に貯めていた。

もう俺は息子の通帳を見ちゃいけないのかな、と思いつつも、息子名義のその通帳の中を見た。俺が毎月送っていた養育費と同額が毎月入金され、一円も引き出されずに貯金されていた。残高は一千万円近くになっていた。元妻は息子のために、全額溜めていた。あいつはセコいんじゃない。

母の愛情、それ以外に何もない。
セコいとか言って馬鹿にしていた俺はなんて了見の狭い男なんだと思い知らされた気分だった。
息子がキャンプから帰ってきた日、「あしたママのお見舞いに行こうか」と息子を誘った。
「うん!いきたい!」と、息子は、これまでの同居中、俺には見せなかった顔いっぱいの笑顔だった。それ以来、母の愛情の偉大さを知った俺は元妻を悪く言うことはなくなった。

その後、復縁はしていないけど、息子と元妻とは良い関係が続いています。


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