【人を憎むな】

俺は、今思うと幸せな家庭に生まれたんだと思う。
公務員の父、専業主婦の母、3つ離れた弟が一人。
ごく普通の田舎の核家族だったと思う。

しかし俺が消防3年だった頃、突然両親が離婚、原因はおやじの浮気母親と俺と弟は、追い出される形で、家を出る事となった。
母親は体が弱く、そんなに無理して働ける身体でもなく、無理をしていたんだと思うそれでも、ずっと働き詰の母親の姿を見るのが子供ながらに、辛かった覚えがある。
俺達がいるせいでこんなに辛そうに必死で働く姿を垂オ訳ない気持ちで一杯だった。

そして厨房に上がった頃、おやじは死んだ。
胃癌だったそうだ。
浮気相手に見捨てられて見取ってくれる人間すら居なかったらしい。

俺はその事に優越感を感じる位、おやじを憎んでいた。
そして捻くれてしまっていた。
やさしい母親の諭してくれた言葉すら忘れて、、、それでも母親は、おやじを憎むなと俺達兄弟に諭した。

全て自分が悪いのだと、、、人を憎む人間になって欲しくないと、、、そして時がたち、母親は高校へ行かず働くといった俺を高校まで行かせてくれた。
親子3人貧乏で本当に何も無い暮らしだったが俺は幸せを実感していたんだと思う。
やさしい母のおかげか俺も弟も幸いグレずに晴れて高校を卒業させてくれた。

それから俺は営業の仕事をして母親と弟を大事に楽にさせてやろうと、必死に働いた。
昼も夜も、時にはクライアントを騙す様な仕事もしてきた。
それはあの二人を思うと働かずには居られなかった。

そして母親が働かずにすむくらいの収入を得て、家も買い、弟も就職し働き始め弟は結婚する事にもなり、婚約者も俺達の事を判ってくれていた。
婚約者を連れてきたときの母の嬉しそうな顔が今でも脳裏に焼きついててさ、、やっとこれで全ての幸せを買い戻した、これからはもっと幸せにならなきゃなって、、、そんな母と弟が去年高速道路で事故に遭い帰らぬ人となってしまった。

2人とも即死だったそうだ、、、、弟はその年の暮れ、結婚する筈だった。
母親もそれをもの凄く楽しみにしていたのに、、二人の葬儀の時、俺は、喪失感にさいなまれ何が何か判らなくなってしまい、ただただ静かに、葬儀を進行させていった。
自分が今一体何の為に何をやっているのかすら解らず。

涙すら出ないのだ。
自分は、どこか壊れてしまったかのように。
葬儀も終わり、納骨も済み、全てが、終わった。

依然涙は出ず終いだった。
その後、事故の相手と保険屋が家に来て事後交渉を始めた時母親の人生、弟の人生を何だと思ってやがると、腸が煮えくり返ってきて、その時初めて嗚咽混じりに謝罪を求めた。
その時本当の憎しみ慟哭という物がどういう物なのかわかった気がした。

それと同時に人を憎む人間になって欲しくないと、、諭してくれた母親の言葉も蘇り俺ははじめて人前で泣いた堰を切ったかのように泣いた。
もうすぐ一年、未だ虚脱感からは抜け出せてません。
今日も仏壇に手を合わせ、広い家で一人で過ごしています。

いつかこの終わりの無い悲しみから少しでも立ち直れるかなー。


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