【これになんの文句が】

実家は個人商店だった。
お袋も実家から少し離れた店に出ていることが多く、物心つく前から、お袋方のばあちゃんがおれの面倒をよくみてくれていた。ばあちゃんの家は実家から車で20分程度の距離にあって、その頃はお袋の兄貴が実家まで送ってくれていた。

おれが大きくなって、自分の身の回りのことができるようになると、ばあちゃんの出番は少なくなった。
しかし、そのころからばあちゃんは車で20分の距離を歩き、一人で来はじめた。
片側1車線の歩道もろくに整備されていない道を、何時間もかけて歩いて来た。
バスは通っていたけれど、とにかく歩いてきた。数ヵ月に1回くらいの割合で。
ばあちゃんの家にいる従兄弟はばあちゃんを相手にせず、その家の嫁ともうまくいっていなかったのを知ったのはずいぶん後のことだ。

ばあちゃんの来訪は長く続いた。ただ歳を取るにつれて、お袋の兄貴が送って来たり、お袋が迎えに行くことも多くなった。1泊程度泊まって帰るのが常だった。
10代も終わりを告げようとしていた頃のおれに対して、ばあちゃんは何度か部屋のドアをノックし、微笑みながら顔をのぞかせる。おれは邪険ではないにせよ、つっけんどんな態度をとっていたような気がする。
親父やお袋に反抗的な態度をとっていた手前もあったかもしれない。

ばあちゃんは近くの店で菓子やらパンやらを買ってくる。
おれがいくつになっても「おあがんなさい」といって買ってきてくれるのは、いつもだいたい同じものだった。そしてジュースといえば三ツ矢サイダーだった。そんなばあちゃんのことがおれは好きだった。

ばあちゃんに異変が起き出したのはおれが仕事を始め、一人暮らしをするかしないかの頃だった。
おれの実家に来て、散歩に出かけるとなかなか帰ってこられない。
「どうもボケが始まったらしい」そんな話が出てからもしばらくは小康状態で、それほど心配はなかった。

おれが一人暮らしを始めて2年ほど過ぎた8月中旬、世間はお盆休みだったが仕事の都合でおれは会社にいた。夕方実家から電話がかかってきた。
「ばあちゃんがいなくなったらしい」しかも昼前から見かけていないという。
「すみません、ばあちゃんがいなくなったらしいんです。帰ります」
あわてて電車に飛び乗り、車でばあちゃんの家に向かった。
大事なものの価値を普段は見失いがちだ。失いそうになって初めて気づく。

ばあちゃんの家につくと同時に、警察から保護されたという知らせが入っていた。
おれは竹やぶのなか、一人で泣いた。
戻ってきたばあちゃんはちょっとビックリしたような感じだった。
照れくさそうにしているようにも思えた。

久しぶりにばあちゃんのそばで寝たが眠れなかった。
発見された場所は知り合いも誰もいない10キロ近く離れた住宅街だった。
発見者によると、ヨロヨロしていて危ないなあと思っていたら、歩道と車道の段差で転んでしばらく動かなかったので、声をかけたという。
記録的な炎天下の中、どこへ行こうとしていたのだろう。
この日を境にばあちゃんの痴呆が進んでいった。

介護施設から老人病院と送られ、見舞いに行くたびにやせ細っていった。
車椅子から寝たきりへ。
思い出も何もかも失って、あの日から数年過ぎた8月終わりの残暑の中、旅立った。

最近、法事でばあちゃんの家にいった。
昼飯を食いながら従兄弟が「ばあちゃんはいつも同じ菓子買ってきてさぁ」
とウンザリした口調で言うのに腹が立ったが、黙っていた。

飯を食い終わって家の周りをブラブラしていると、裏の小屋にばあちゃんが愛用していた小さなカートが置かれていた。

バスケットの中をのぞいてみると、ばあちゃんがよく買ってきてくれた菓子の空き箱が入っていた。

「これになんの文句があるんだよ、バカヤロウ」 ボロボロ涙が出た。


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